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第二次世界大戦の原因は、ヴェルサイユ条約とファシズム台頭

      2016/06/25

第二次世界大戦の原因は、ヴェルサイユ条約とファシズム台頭

第二次世界大戦は第一次世界戦後の世界に、主戦場となったヨーロッパの没落、帝国主義国家によって支配されていた殖民地の独立運動の活発化、ソヴィエトの建国、ドイツの共和国建国など様々な変化の元に起こりました。

今回は、第二次世界大戦が起こった原因についてまとめてみました。

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第二次世界大戦が起こった原因|ヴェルサイユ条約

1918年11月、第一次世界大戦が終わり、翌年、ヴェルサイユ条約が締結された。連合国とドイツの講和条約である。ところが、実態は敗者(ドイツ)に対する勝者(連合国)の復讐だった。戦争の全責任をドイツに押しつけ、凄まじい罰をドイツに課したのである。

具体的には ・・・

ドイツの鉄鉱石の90%を産出するアルザス・ロレーヌ地方がフランスに割譲され、石炭と工業生産の中心地ザール地方が国際連盟の管理下におかれた。つまり、鉱工業の心臓を握りつぶされたのである。さらに、ベルギー、ポーランド、デンマークにも領土を取られ、ドイツは本土の13%を失った。さらに、海外の植民地もすべて奪われた。あげく、返せる見込みのない途方もない額の賠償金まで課せられたのである。

結果 ・・・

ドイツは凄まじいモノ不足に陥った。そこで、ドイツ政府は、購買力を高めようと紙幣を大量に刷ったが、これが裏目にでた。「カネ > モノ」を加速したのである。結果、史上最悪のハイパーインフレに陥った。

引用元-第二次世界大戦の原因〜戦争の引き金〜

ドイツ国民は、この惨状の原因がヴェルサイユ条約にあると信じて疑わなかった(真実なのだが)。そして、連合国を心から恨んだのである。さらに、民主主義と平和主義の象徴といわれたワイマール共和国政府(当時のドイツ政府)でさえ、国防軍に対し、
「もはや、連合国と一戦交えるしかない。勝算はあるか?」
と問いただす有様だった。もちろん、国防軍の回答は「勝ち目なし」だった。ところが、一方で、ドイツ陸軍総司令官ハンス・フォン・ゼークトは、1923年1月31日、共和国政府に対し、

「フランス占領にはドイツ再軍備で対抗を!」
と進言している(この頃、ドイツの軍事力は警察なみに制限されていた)。
第一次世界大戦が終わって、わずか4年後のことである。ドイツがいかに追い込まれていたかがわかる。
一方で、戦争を抑制する力も存在した。

当時、ヨーロッパ諸国は、第一次世界大戦の戦傷から回復していなかった。戦争で、2000万人もの犠牲者をだし、膨大な資源を消耗したのである。そのため、強い厭戦気運がヨーロッパ全土をおおっていた。

つまり、この時代、「ドイツの恨み」と「ヨーロッパの厭戦気運」が天秤の左右でバランスをとっていたのである。
では、「恨み > 厭戦」で、第二次世界大戦が勃発した?
ノー!
天秤が台座ごとひっくり返ったのである。それほど、この時代は混乱していた。「ありえない」、「想定外」が連発し、歴史の流れが寸断され、そこへ、「ドイツの恨み」というマグマが吹き上げた。結果、誰も望んでいない第二次世界大戦に突入したのである。

引用元-第二次世界大戦の原因〜戦争の引き金〜

第二次世界大戦が起った原因|ヒトラーの存在

人口が増大するドイツは、資源が不足し、とくに、食糧不足は深刻である。自給自足は望むべくもないが、外国から買うこともできない(ヴェルサイユ条約で課せられた賠償金で外貨が不足)。しかも、世界大恐慌で、「持てる国」はブロック経済を採っているので、貿易で外貨を稼ぐこともできない。
ゆえに、生存圏の拡大が必要である。東ヨーロッパ(ロシアを含む)の人口希薄な地域に、農耕地を獲得するのである。それも、遅くとも、1945年までに。それ以後になると、過剰人口で食糧危機が切迫するからである。

その結果、生まれたのがヒトラーの究極の戦略「東方生存圏の拡大」だった。
つまり、ヒトラーの「ロシア征服」は、アレクサンドロス大王の東方大遠征のような無邪気な冒険心や、チンギスハーンの西方大遠征のような燃えるような復讐心に起因するのではない。「国民を飢えさせない」ためだった。皮肉なことに、その結果、ドイツは地獄世界に落とされたのだが。

引用元-第二次世界大戦の原因〜戦争の引き金〜

第二次世界大戦が始まる経過

1937年、ドイツが動き出します。ヒトラーは東方に拡大政策をとることを宣言。翌年にはオーストリアを併合します。

引用元-第二次世界大戦の原因と終焉をわかりやすく!

次にドイツはチェコスロバキアのズデーテン地方の割譲を要求。この要求にチェコスロバキアは、イギリス、フランスが後ろ盾になってくれることを期待しきっぱり拒絶します。

しかし、イタリアの仲介によって開かれたドイツ、イタリア、フランス、イギリスの会議(ミュンヘン会議)によってズデーテン地方はドイツに割譲されることが決定されてしまいます。なんとチェコスロバキア不在の会議で勝手に決めちゃったんですね。フランス、イギリスとしては第一次世界大戦のような戦争は避けたかったですし、何しろドイツが「このズデーテン地方が最後の領土要求だ!」というものだから妥協してしまったのです。

しかし、こんな弱腰とも思えるイギリス、フランスの対応にドイツは早速約束を破ります。1939年、ズデーテン地方のみでは飽き足らず、今度はチェコスロバキア自体の解体に乗り出すのです。なぜ、ドイツはそんなにもチェコスロバキアが欲しいのか?実は、チェコスロバキアでは工業が非常に発展していたんですね、特に武器なんかも非常にいいものをつくるので、ここをおさえてしまえば軍事的に優位に立つことができるんです。

ドイツは、西部のチェコを併合し、東部のスロバキアを保護国としました。そしてドイツが次に狙いを付けたのポーランド。

ドイツは第一次世界大戦敗戦時。バルト海への出口を欲しがっていたポーランドにドイツ領土をぶった切るようにしてポーランド回廊という地域をとられています。このポーランド回廊を横断する陸上交通路とその回廊の先端にある港、ダンチヒを返せと要求します。しかし、ポーランドはこれを拒否!

ドイツとポーランドの間に緊張が走り戦争の危機となり始めます。

ちなみに同じファシズムのイタリアも同時期にドイツの勢いに押されるようにして無抵抗のアルバニアを併合。領土拡大に乗り出していきますよ。

さぁ、イギリス、フランスの弱腰とも思える対応にチャンスとみたドイツでしたが、イギリス、フランスもそうそうドイツのいいようにはやらせておきません。チェコスロバキアの二の舞は避けたかったイギリス、フランスはポーランドに安全保障条約を約束。ドイツとの戦いの準備を始めます。

このイギリス、フランスの動きにドイツはどうするのか?なんとスターリン率いるソ連と手を結ぶのです。ドイツにしたらイギリス、フランスと戦争を始めた場合、ソ連まで敵に回したら挟み撃ちになっちゃいますね。地理的にドイツはイギリス、フランスとソ連の間にありますから。

ソ連はソ連で日本が怖かった・・・。当時の日本とソ連は警戒しあっていましたからソ連としても日本とドイツの挟み撃ちは避けたかった。そこで、ドイツ、ソ連の間で独ソ不可侵条約、つまりお互いの領土は攻めないようにしましょうと約束をしたのです。

この条約を結ぶことに成功したドイツは、ついにポーランドへの侵攻を開始します。そして、イギリス、フランスはポーランドとの約束通り、ドイツに宣戦布告。

ここに第二次世界大戦が始まるのでした。

引用元-第二次世界大戦の原因と終焉をわかりやすく!

第二次世界大戦勃発|ファシズムが台頭したわけ

当時、その植民地を持っていない国といえばドイツ、イタリアですね。ドイツは第一次世界大戦に負けて領土とられちゃってますし、イタリアは勝利した方だとはいえこれといった領土を得たわけではなかったのです。

これらの国では、「もう、多少強引でもいいから、誰か、この状態をどうにかしてよ〜」と国民は強いリーダーシップをもった人物を待ち望むことになります。
そこに現れたのがドイツではヒトラー。イタリアではムッソリーニでした。そして彼らはファシズムという考えに走っていくことになります。ファシズムとは簡単に言ってしまえば独裁政治によって軍事力を強化し、海外進出を狙おうという考えです。

引用元-第二次世界大戦の原因と終焉をわかりやすく!

列強とされた国でも比較的貧乏な国がありました。その代表がドイツです。第一次世界大戦で敗れた彼らは、植民地を失ったうえに、多額の戦後賠償が負担となって極めて苦しい経済状況にあった。そのうえ、さきに申し上げた世界恐慌の影響をまともに受けたのです。ところで、いまの日本でも格差を叫ぶ人たちがいますよね。自分たちが苦しいのは悪い奴らがいるせいだ。まさにドイツでも、そういった経済の不安から来る不公平感からナチス・ファシスト政権が誕生するにいたったのです。ユダヤの資本家を倒せ!共産主義者は敵だ!ドイツ国民は、ナチス総統のヒトラーを熱烈に支持しました。

引用元-第2次世界大戦って何が原因で起こったんですか?詳しいかた教え… – Yahoo!知恵袋

第二次世界大戦への引き金|ヴェルサイユ条約とは

1919年6月28日、パリ講和会議の結果、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿鏡の間で調印された、第一次世界大戦の連合国とドイツの間の講和条約。ヴェルサイユ条約の精神は、フランスによるドイツに対する報復という面が強かく現れ、ウィルソンの国際協調の精神は第1編の国際連盟規約に生かされたにとどまった。またレーニンが「平和についての布告」で提唱した無賠償・無併合の理念もまったく無視された。1920年1月10日に発効。これ以降のこの条約に基づくヨーロッパの国際秩序をヴェルサイユ体制というが、敗戦国ドイツに苛酷な負担をしいたこの体制は、1936年にドイツのヒトラー政権がロカルノ条約を破棄してラインラントに進駐することによって崩壊する。

引用元-ヴェルサイユ条約

(1)国際連盟規約。
(2)領土の処分:
a.ドイツはすべての海外植民地と権益を放棄する。
・山東半島のドイツ権益は日本に与えられる。
b.領土の割譲
・アルザス・ロレーヌをフランスに返還する。
・ポーランドにバルト海に通じる地域(ポーランド回廊)を割譲する。
ほかにベルギー、デンマークにそれぞれ隣接地域を割譲する。
c.領土の国際管理など
・ザール地方は国際連盟の管理下におき15年後に住民投票で帰属を決定する。ただし炭鉱の採掘権はフランスが有する。
・ダンツィヒは自由都市とし国際連盟の管理下におく。港湾管理権はポーランドが有する。
・上シュレジェンは21年の住民投票によって帰属を決定する。
(以上によってドイツは国土の7分の1、人口の10分の1を失い、東部プロイセンと分断された)
(3)軍備の制限:徴兵制は廃止され、陸軍は10万、海軍は1万6500の兵員に制限され、航空機・潜水艦の所有は禁止された。
また、ラインラントは非武装(ライン川西岸は連合国軍により15年間占領、右岸の50㎞は非武装)とされた。
(4)戦争責任はドイツにあるとされ、賠償金の支払い義務を課せられる。(1921年に1320億マルクに決定)

引用元-ヴェルサイユ条約

ドイツで最も尊敬される政治家の大戦への反省

1913年、リューベックで生まれたヴィリー・ブラントは、10代の頃にドイツ社会民主党(SPD)に入党し、機関紙に寄稿するなどジャーナリストとして活動していましたが、ナチスの迫害にあい北欧へ亡命。第二次世界大戦後ドイツへ戻ってからは、西ベルリン市長、西ドイツ首相、欧州議会議員などを務め、1992年に亡くなるまで精力的に政治・社会活動を続けました。

ナチス支配、戦争、ベルリンの壁建設、東西ドイツ再統一……とドイツ激動の時代に政治家として生きたヴィリー・ブラント。ドイツの政治史は彼無しには語れないというほどたくさんのエピソードを残していますが、なんといっても有名なのは「ワルシャワでのひざまずき(Warschauer Kniefall)」と呼ばれる出来事。1970年12月7日、西ドイツ首相としてポーランドとの国交正常化基本条約に調印し、ワルシャワのゲットー記念碑に献花したブラントは、突然ひざまずいて黙とうを捧げたのです(当時この行為は国外では歓迎されたものの、ドイツ国内では保守派から大きな反発を受けました)。翌1971年、ブラントは一連の東方外交の功績により、ノーベル平和賞を受賞しました。

引用元-ドイツの英雄ヴィリー・ブラント博物館/リューベック [ドイツ] All About

まとめ

戦争を通していつも考が至るのは、弱者である国から強者である国がいかに搾取するかその一点なのですよね。2回の世界を巻き込む大戦を通して人類ははたして学んだのでしょうか。21世紀の現在も、争いが絶えない世界です。人間は精神面でも進化するべきだと思います。

twitterの反応


https://twitter.com/AsciiArt2/status/669412217763307525

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